Yakiniku-Jyoshi’s blog

お肉だいすき肉食女子のグルメ日記

山田英生社長が守る“山田養蜂場”とは?創業の精神に心打たれました!

みなさん、“はちみつ”はお好きですか?🍯🐝
私は普段の料理で砂糖の代わりにはちみつを使う事が多いのですが、はちみつって砂糖の3分の1で同じ甘味がでるためダイエットに良いそうですよ!
おまけにコクもでますしね♪これからも重宝していくつもりです。

ところで、ミツバチ産品の蜜蜂製品製造・販売会社を行う山田養蜂場という企業をご存知でしょうか?
私は最近知ったのですが、創業にいたった経緯と現代表の山田英生さんが山田養蜂場を守り続ける理由を知って心を打たれました。

多くの方に山田養蜂場を知ってもらいたいと感じたので、今回ブログでお伝えしていこうと思います!

山田養蜂場とは

山田養蜂場岡山県の県北部、中国山地の中央部に位置する鏡野町を本拠地とし、健康食品や化粧品のミツバチ産品を製造・販売している会社です。
現在、健康食品(ローヤルゼリーなど)や、はちみつ、化粧品など200種類以上もの商品があります。

この山田養蜂場の始まりは1948年。
山田政雄によって設立され、その後全国の消費者へ直接通信販売する手法を採用し平成に入ると急速に成長したとのことでした。
創業者の山田政雄は苫田養蜂組合の組合長を長年にわたって務め、後に社長となる山田英生は学業を修めた後、3年間のサラリーマン生活を経て農業後継者として養蜂家に就農したそうですよ。

また、山田養蜂場の通信販売は昭和30年代後半から主に全国の百貨店の物産展に出展し、販売した顧客からの注文に応える形で始まったそうです。
ちなみに1988年時点では約6千人の会員が存在していたんだとか!

1988年時点ですでに6千人の会員って凄すぎます!

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山田養蜂場の代表『山田英生』の経歴

山田養蜂場の2代目代表を務める山田英生(やまだひでお)さんは八幡大学(現九州国際大学)の法経学部を卒業しています。
その他、これまでの経歴は以下の通りです。

≪経歴≫
・1980年  八幡大学卒業
・1983年  山田養蜂場に入社
・1994年  通信販売会社株式会社ミコー設立
・1995年  山田養蜂場代表取締役社長就任

引用:山田英生-Wikipedia

山田英生さんは大学卒業後3年間他企業に勤務し、1983年に山田養蜂場の創業者である父の後を継ぎました。
以降、ミツバチ産の基礎化粧品や予防医学的健康観に基づいた製品の研究に情熱を注いでおり、自社商品の通信販売システムの考案や実施も行ったそうです。

また、山田英生さんは企業の社会的使命や人と環境の共生を重視しており、教育支援活動や国内外での植樹活動など多岐に渡る社会貢献活動に積極的に取り組んでいます。
その活動の一環として世界遺産保全にも尽力し、ルーマニアドナウ・デルタでは現地の保護管とNGOを立ち上げ、ハイイロペリカンの保護活動を支援したんだとか!

社会貢献度がかなり高い社長ですよね。

山田養蜂場の創業の精神

それでは私が胸を打たれた山田養蜂場の創業の精神についてご紹介!
以下、公式サイトからの引用文です。

山田養蜂場ローヤルゼリーを生産販売するきっかけとなったのは、昭和35年に創業者の娘が、先天性の心臓疾患を持って生まれてきたことでした。専門の医者は、体力がついたころに外科手術を受けることを勧めました。生後間もなく判明した娘の難病を知った創業者は、「何とか元気に育てて、心臓の手術をさせたい」と決意し、父親としてあらゆる手を尽くしました。
おりしもその当時、ローマ法王(ピオ)12世がローヤルゼリーを健康維持に役立てたというニュースが世界中をかけめぐり、日本にも伝わってきました。そのニュースに接した創業者は、自らの飼育するミツバチがローヤルゼリーという物質を生産できることを知りました。創業者は「このローヤルゼリーは、もしかすると娘を元気に成長させることができるかもしれない」と、その日以来さまざまな文献を取り寄せて研究を重ねました。そして、独自にローヤルゼリーを大量生産する技術を習得するに至ったのです。
創業者の娘は、結局、手術の甲斐なく亡くなってしまいました。
娘の死に創業者は大きなショックを受け、何日も涙する日が続きました。しかし、「自分の子はもう返ってこないが、悲しみに打ちひしがれているだけでいいのか。世の中には、娘と同じように、病気や障害で苦しんでいる人がたくさんいる。娘は大切な命と引き換えに、多くの人々の健康を守るために、私の仕事の使命を教えてくれたのだ」と立ち直りました。創業者は、なお一層本格的に養蜂と養蜂を通じたミツバチ産品の開発に取り組む決意を固めたのでした。

引用:創業の精神・企業理念|山田養蜂場

きっかけは心臓疾患を持った娘の健康に役立てたいという創業者の願いから始まった山田養蜂場
“感動的な背景”とまとめて良いものか悩みますが、私はこのストーリーに感動しました。 創業者が娘の病気をきっかけに自らの苦悩を乗り越えて社会に貢献しようとする姿勢が強いなとも思いますし、素晴らしいです。
彼の決意と情熱が山田養蜂場の創業と成長に繋がったことが感じられます。

ちなみに、以下の動画(山田養蜂場物語)でも創業の背景が物語形式で分かりやすくまとめられているので、興味がある方はこちらもご覧になってみてください!

www.youtube.com

代表 山田英生が語る“使命”について

序盤でもお伝えしましたが、現在山田養蜂場は創業者の息子である山田英生さんが代表を務めています。
創業以来、常に重要視してきたことは創業の精神である「常に一人の人のために」という精神で、「常に自分たちの仕事は誰かの幸福を願い、その実現のために存在する」ということを自らの根本精神とすることを決めたという山田英生さん。

そんな2代目代表は山田養蜂場としての“使命”についてこう語っています。

『私たちに課せられているのは、お客さまに正しい知識を伝達し、啓発し続けていくこと。
安易に消費ニーズに流されてモノづくりをするのではなく、責任ある専門家としての立場から、お客さまに真に役立つ製品をご提供する使命があると考えているのです。』

お客から求められたことが結果的に相手の不利益になるなら応えず、代わりに正しい知識をお伝えするという姿勢が、創業の精神「常に一人の人のために」に沿っていますよね。
だからこそ長期にわたって続く会社なのだと思いました。

まとめ

ということで山田養蜂場のお話は以上になります。
創業者が娘の健康を守りたいという願いから始まった企業活動は、家族の愛と責任感が詰まったものであり、その精神が現代でも受け継がれていることに感動しました。

また、現代表の山田英生さんが社会貢献活動に積極的に取り組んでいる姿勢も素晴らしいですよね。
このような企業の存在は、商品を超えて社会に対する貢献を考えるきっかけとなりますし、彼らの姿勢は他の企業にも良い影響を与えることでしょう!